話しその12
飛騨川にて(8月)
美濃加茂市から41号線で高山に向かう。途中の橋の上から、川を見ると、川幅100mは有りそうな流れの両岸で竿を振っている人が大勢居る。「コンテッサ号」を停め、ドンを連れて、川岸に降りてみる。鮎が釣れている。水深が有るので、コロガシや友釣りでは無いようだ。。鮎釣りは、早川(小田原)でアンマ釣りしか、した事ないので、又、仕掛けが無いので、暫く見ていただけ。
上流に水力発電所が有る様で、水の流れが激しく、量も多いので、宛ら、グランド・キャニオンのコロラド川もかくやと思われる様な三角波が立っている。
暫くぼんやりと見ていると、水面に、ライフ・ジャケットを着けた、カヌー用のヘルメットを着けた人が流されている。少し後から、カヤック・カヌーが、ひっくり返って流されて行く。陸からは距離が有り過ぎ、どうしょうも無いので、ライフ・ジャケットを着けていたので、生命の危険は無いだろう、その内、岸に這い上がるだろうと思っていたが、何度も水の中に引っ張り込まれていたので、少々心配。
この川を、一人でカヌーをするのは、自殺行為だと思っていると、必死でパドリングして、岸に寄ってきたカヌーが1挺。私の近くに着け、人が流れて行かなかったかと聞く。自分の事で一杯で、一緒に居た、流された人が沈しても、助けられなかったらしい。こんな凄い流れは始めてなので、この先、助けに行くのに、自信が無いと言う。
私も一時期、カヌーに凝っていた事が有り、この流れならば何とか成りそうなので、ライフ・ジャケットとスプレッダー(腰にスカートの様に着けて、カヌー挺の腰掛け部分の穴を塞ぎ、挺の中に水が入らない様にする、ゴム製の物)とパドルを借り、スラローム・カヌーに乗り込み、パドルの持つ手の位置を高くして、ハイ・ピッチで漕いで、三角波を乗り越えて突き進む。この様な、激しい流れの中では、パドルの漕ぐ力が挺の安定となる。ここで沈してしまっては、何にもならないので、必死でただ漕ぐ。何分か、何十分か岸の釣り人も目に入らない位、無心に流された人を捜し、流れを下る内、赤いヘルメットが浮き沈みしているのが見え、急ぐ。
挺を近づけても、しがみつかないので、横に付け、様子を見ると、ぐったりとして、息も絶え絶えの状態。カヤック・カヌーなので、引き上げるのは無理なので、又、引いて漕ぐ事も出来ないので、わざとカヌーを横転させ、挺から抜けだし、挺の先っぽに付いている、ロープを掴み、流された人のライフ・ジャケットの背中側をもう片方の手で掴み、岸に向かって泳ぐ。何百mも流されて、やっと岸に辿り着き、首の頸動脈で脈を診ると心臓の鼓動は有るが、呼吸が弱く、人工呼吸が必要なので、気道確保をして、マウス・トウ・マウスの人工呼吸をする。何回か続けていると、咳き込み始めたので、辞め、体を横向きにして、水を吐かせる。真っ青だった顔面に赤みが差してきて、意識もはっきりとしてくる。男性とばかり思っていたが、女性の様。セパレーターのウエット・スーツにカヌー用のライフ・ジャケットに、ヘルメットだったので、判らなかった。暫く体を横たえて、休ませる。男性だったら、着ている物を緩めて、楽にするのだが、女性なので、無闇に着ている物に手をかける訳にはいかないので、ライフ・ジャケットを外しただけとする。
1時間程休ませていると、落ち着いてきたので、岸から、5m程の土手(と、いうより、崖)を、先ず、挺を担いで登り、次に彼女の手を取って、登る。畑の間の小道を通って、道路に出て、上流方向に行く車に手を挙げて、ヒッチハイクとする。軽トラックが停まってくれ、挺を荷台に置き、彼女を助手席に乗せ、私は荷台に。5分程で「コンテッサ号」を置いた場所に着く。
「コンテッサ号」に彼女を入れ、ベットに横に成ってもらい、私は川岸に降りて、ぼんやりと川を見ている、彼女の連れの男性を見つけ、「コンテッサ号」へ。留守番をしていた、ドンが彼女の側に付いていた。カヌーを「コンテッサ号」に積んで、彼らの車の置いてある、白川口の駅の側の駐車場へ「コンテッサ号」を走らす。